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今回で二度目の発症となる重度の顔面神経麻痺 33歳 女性
当院来院の2週間前に朝起きて顔面神経麻痺になっていることに気がついた。3年前に今回と同じ側の顔半分が顔面神経麻痺になったことがあり、すぐに総合病院の耳鼻咽喉科に行き、以前お世話になった医師の診察を受け末梢性の顔面神経麻痺と診断された。その日から10日間ステロイドの点滴を受け坑ウィルス剤にビタミンB12の服薬を受けた。発症する3日ほど前から風邪のような症状で体調を崩していたが耳の周囲に発疹などは出ていなかった。前回3年前の顔面神経麻痺が発症した時にも、発症後一ヶ月半ほどして当院を受診されている。その時の顔面神経麻痺の程度は重度で、当院初診時の顔面神経麻痺評価点数は40点満点中の4点であった。それから1年4ヶ月当院で治療を行い、後遺症の進行の程度をみて症状固定と判断し治療終了をした時点での顔面神経麻痺評価点数は40点満点の26点であった。顔の表情筋の偏りもほとんどわからない状態で、顔面神経麻痺評価点数で言えばもっと良い点数の方達と比べても見た目では良い状態にまでなっていた。
■診察
[ 初診 ]
初診時はステロイド等の治療や精神的、肉体的な疲労も見受けられ軽度のめまいとふらつきが有り、動きたくないという訴えがあった。顔面神経麻痺発症から数日間聴力の音が半音下がって聞こえると言う現象があった。現在は正常に戻っているとのことである。今回顔面神経麻痺が発症する前までの、前回の顔面神経麻痺後遺症状はどうだったか尋ねたところ、口を動かすと目が細くなる共同運動が目立ってきていた。頸部に以前あった筋肉の痙攣は軽くなっていた。舌は軽い痺れ感があった。アブミ骨痙攣による耳の音はしていた。前回当院で顔面神経麻痺治療終了時点から特に悪化することも良くなったと言うわけでもなく経過してきたようだ。今回の初診時顔面神経麻痺評価点数を計測すると2点である。新たな顔面神経麻痺の発生によりアブミ骨痙攣による音は消えた。耳の周囲に軽度の痛みがあり、味覚も少し鈍っている。
就寝時も目が乾くので目は開いたまま寝ている状態である。
[ 7回目]
顔面神経麻痺発症から1ヶ月経過。顔面神経麻痺評価点数6点。就寝時に目の乾きはなく仰臥位では閉眼可能である。耳鼻咽喉科の医師からは顔面神経麻痺に対する手術も勧められたが同時に失敗することのリスクも説明され、医師からは手術への消極性を感じたようだ。。
[ 20回目]
顔面神経麻痺評価点数10点。上唇が上の頬に上がるように引っ張られ、口が閉じにくく水がこぼれやすくなっている。以前あったアブミ骨の痙攣音も鳴り出した。
[ 40回目]
顔面神経麻痺評価点数12点。唇が頬の方へ引っ張られるようで口が閉じにくかった症状は無くなり落ち着いている。
[ 70回目]
顔面神経麻痺発症から9ヶ月。総合病院耳鼻咽喉科での顔面神経麻痺評価点数16点。
[ 80回目]
顔面神経麻痺発症から1年。総合病院耳鼻咽喉科での顔面神経麻痺評価点数18点。顔面神経麻痺後遺症による瞬き時の口角挙上などの共同運動がある一方で、両目の瞬き時のスピード差が少なくなって、病気の改善と後遺症とが同時に進行している。
[ その後の経過]
顔面神経麻痺発症から1年10ヶ月間当院で週1回程度の治療を続けた。後遺症により顔面表情筋が短縮し堅くならないように、また顔のバランスが偏らないように注意しつつの治療であった。見た目的には顔面神経麻痺とは分からない状態にまで回復している。しかし個々の症状は上眼瞼が開く幅に制限があり上のものを見るときには顔を上げる必要がある。パピプペポと言った破裂音がしゃべりにくい。いずれも他人にはわかりにくい後遺症状である。水を含む時は意識しないと洩れることがある。観察していないと判りがたいが軽度の痙攣が眼下と側頸部に出る。たまに眼振が出て文字が見づらいことがある。総合病院耳鼻科ではこれらに対して仕方がないと説明された。最終的な顔面神経麻痺評価点数は20点であった。
■考察
顔面神経麻痺が同側に2度発症し、いずれも程度としては重度の部類であった。1回めの顔面神経麻痺による後遺症が残っている上で、さらに顔面神経麻痺が襲ったのである。
当院での治療を信頼して通院してくださる患者様の期待に応えようと、精一杯の治療を続けてきたつもりであるが、やはり後遺症状を残した上で治療を終了することとなった。自身の未熟とするところである。まだまだ先のある若い女性患者様だけに、唯一顔面神経麻痺にかかったことが見た目からはわかりにくいということが慰めであった。